オレンジ党と黒い釜 (天沢 退二郎 著:筑摩書房)

 前に紹介した「光車よ、まわれ!」の、続編ではないものの世界観をかなり共通した同じ作者の児童文学であり、こちらは今回初めて読みました。この1978年に出版された「オレンジ党と黒い釜」は三部作「三つの魔法」の第一話で、第二話「魔の沼」(1982)、第三話「オレンジ党、海へ」(1983)が続き、さらにかなり後の211年に、続編となる「オレンジ党 最後の歌」が出版されています。
 オレンジ党とは、物語の舞台となる町の六方小学校の六年生6名(ただし1名は隣の千早台小学校)から成るグループで、謎のとき老人に導かれて、「黒い釜」捜索作戦を行っています。「光車よ、まわれ!」の主人公たちの家庭がいずれも何らかの理由で父親不在だったのと対になるかのように、メンバーの鈴木ルミ、李エルザ、由木道也、竜竜三郎、名和ゆきえ、森コージはすべて母親が死亡しており、しかもその理由は「黒い釜」に関係しています。とき老人の説明によれば、この世界には「黒い魔法」「古い魔法」「時の魔法」の三つの魔法があり、その使い手が三つ巴の戦いをしています。嘗ての「黒い魔法」と「時の魔法」との戦いではオレンジ党メンバーの母親たちがとき老人と共に黒い魔法の手先であるグーンと戦って勝利したのですが、10年ほど前に「黒いもの」が復活し、その際の事件で母親たちは命を落としました。このときは「古い魔法」が黒いものを五つの黒い釜に封じて地下深く隠したのですが、今回はその「古い魔法」の変節によって再び奇妙な事が起こり始めています。主人公のルミの父親は10年前の事件で妻(ルミの母親)を失った後に一旦この地を去っていましたが、今回何らかの理由でルミを連れて再び子因縁の地に戻ってきています。
 このルミの父親も含めて、大人の存在感の薄さが「光車」とオレンジ党シリーズを通じての特徴です。実際ルミが家に到着した場面でも、彼女は後から荷物を載せたトラックで来る父親より早く来て怪しい目に遭遇しており、さらに小学校の始業式翌日のピクニックで父親は失踪して、以後は小学生六年生の彼女は一人で生活を続け、彼女の家はオレンジ党のたまり場のようになっていきます。恐らく現代の読者は保護者もなく小学生が一人で生活を続けたり、小学生だけのグループが早朝や放課後さらに深夜に自由に行動できるという設定が非現実的すぎてあり得ないと感じてしまうでしょうが、この本が書かれた昭和40-50年頃だと、私自身の感覚では一般的ではないがあり得ないほどでもない微妙なレベルです。
 さらに「光車」で登場した緑の服の組織がこちらでも登場し、ルミたちの同級の優等生二人もそれに加わっています。登場する大部分の教師の扱いや妙に居丈高にルミに職質する警官に描写など、このあたりの設定は著者の反権威思想を強く反映していうように感じます。オレンジ党のリーダーの少女である李エルザが明らかに朝鮮系の名字である点も含めて、この辺りは現在の右傾化したネット世論には受けないだろうなとは思います。

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光車よ、まわれ! (天沢 退二郎 著:筑摩書房)

 子供の頃に読んだ知る人ぞ知る傑作児童書です。挿絵も含めて極めて印象に残っていた本で、今回改めて図書館で借り、恐らく40年以上振りに再読しました。文庫版ではなく昔読んだ単行本版を借りたのですが、これも私の記憶にあるものとはカバー画が異なっていました。どうやら私の記憶に残っている光車そのものの画の表紙は初版のものらしく、それの再現版が最近になって別に出版されているようです。
 それだけ昔に読んだ本であるにも関わらず、特に出だしの部分などは一字一句レベルで記憶の通りだったのですが、一方で第二の主人公であるルミのパートは記憶がなく、そもそも一郎とルミの主人公が二人だった事自体を憶えていないなど、かなり自分の記憶がまだらだったのが意外でした。さらに「水の悪魔」と「緑の服の組織」という別々の敵が存在し、一郎の同級生の宮本たち三人グループと学級委員の吉川とが別々の組織に属していた点や、ラストでも敵の一方としか決着していていなかった事すらも覚えておらず、そもそも子供の頃この話をどこまで理解して読んでいたのかが疑問に思えてきたほどです。

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忘れられた巨人 (カズオ・イシグロ著:ハヤカワ書房)

 2017年のノーベル文学賞作家の最新の長編小説です。鬼や竜が徘徊するアーサー王伝説の暫く後の時代という世界設定のため一見するとファンタジー小説のようにも見えますが、実際には「現在の平和を維持するために過去の残虐行為を封印するのは正しいか否か」という現代的で悩ましい問いを投げかけている極めて政治的な内容の作品であり、しかも主人公の老夫婦の決断の可否についてもはっきりとは書かないなど、どちらかが正解であると軍配を挙げているわけではありません。そのためかネットで書評を調べてみると「正解教」の信仰されている日本の読者間の評判はあまり高くないようです。もっと言ってしまえば、日本の過去の植民地支配下での行為、特にその否定的な部分を忘れるか否かという居心地の悪い問いにつながるのを恐れているように思えます。

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蜘蛛女のキス (マヌエル・プイグ著:集英社)

 少し前に紹介した同じ作者の「天使の恥部」もそうでしたが、イザベル・ペロン政権以後の軍事政権下での反体制派に対する大虐殺は現在のアルゼンチン社会にも深刻な影を落とし続けており、20世紀後半以降のアルゼンチン文学では、直接的ではなくとも何らかの形で必ず触れられるテーマとなっています。この「蜘蛛女のキス」は正にその時代のアルゼンチンで警察に捕らえれた反体制活動家ヴァレンティンと、未成年者への性的行為で逮捕され、ヴァレンティンと同房となった同性愛者モリーナとの会話によって成り立っている作品です。モリーナはヴァレンティンから反体制組織に関する情報を聞き出せば釈放すると刑務所長に言い含められており、彼と親しくなるためこれまで自分の観た幾つもの映画の内容をヴァレンティンに語り、それに対するヴァレンティンの反応がほぼ二人の会話(従ってこの作品)の大部分を占めています。始めのうちは刑務所長の言いなりになっていたモリーナが段々とヴァレンティンに惹かれて行きそして・・・という粗筋のこの小説の主題は、階級も思想も異なり本来なら出会わないであろう二人の心の触れ合いなのですが、それとは別にモリーナがヴァレンティンに語る映画の話が中々興味深いものです。
小説自体に関する詳しい解説はかなり多くの記事を見つける事ができ、例えば以下の記事が詳しいです。
odd_hatchの読書ノート
松岡正剛の千夜千冊

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図書館大戦争 (ミハイル・エリザーロフ著:河出書房新社)

 「図書館戦争」はもちろん日本の小説ですが、きわめて似た日本語タイトルのこちらは現代ロシアの小説です。原題の直訳は「図書館司書」であり、この邦題には「図書館戦争」に意図的に似せた訳者と出版社の商魂を感じます。作者ミハイル・エリザーロフの生まれは旧ソ連時代のウクライナ(1973年)ですが、ロシア語で著作活動をしているロシア作家です。実はこの本を読んだのは一年以上前の事で、新聞の書評を見て興味を持って図書館で借りて読み、実際にかなり印象には残ったものの読んでいて気分が悪くなるような暴力とカルト描写にかなり引いてしまい、これまで紹介せずにいました。今回改めて記事をまとめる気になったのは、同じく現代ロシアの小説である「氷三部作」を読んで、「図書館大戦争」と同じテイストを感じたからです。
 現代ではほぼ忘れ去られているソ連の作家グロモフの書いた7つの本は、集中して一気に読むと読者に不思議な作用を与えるため、その力を知る熱狂的な読者には本来のタイトルではなくそれぞれ「記憶の書」「力の書」「喜びの書」「忍耐の書」「権力の書」「憤怒の書」「意味の書」と呼ばれ、貴重な宝物として扱われています。そして本を共有する読者のグループは「司書」をリーダーとする「図書館」や「読書室」を作り、本を奪い合う血みどろの戦いを繰り広げています。もちろんその戦いは本の力を知らない一般人には分からないところで行われており、戦いによる死者や重傷者も警官や医者を買収するなどして通常の事故によるものとして処理されています。このような、グロモフの本の不思議な力の発見と図書館の成立およびその抗争の歴史が、この作品の初めの部分をなしています。グロモフの小説はソ連時代の公式に認められた文学である硬直した「社会主義レアリズム」の作品であり、大部分の読者には退屈あるいは馬鹿馬鹿しくて真面目に読む気がしない代物です。そのためソ連時代にさえ「集中して一気に読む」読者は稀であった上に、ソ連崩壊後は紙くず扱いされてほとんど目に留める人もいなかったのが、偶々何かのはずみに集中して読んだ読者が段々と図書館や読書室を形成し抗争が繰り返されていく過程は、ファンタジー世界の歴史記述のように読めて中々面白く感じました。

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