白い花びら (アキ・カリウスマキ 監督)

 「20世紀最後の無声映画」と銘打った、全編モノクロの無声映画作品です。本来のタイトル"Juha"は主人公の農夫の名で、フィンランドの作家ユハニ・アホによって1911年に描かれた同名小説の何回目かの映画化との事です。物語の内容も含めて途中までは「今更いくら何でも時代錯誤では」と思って観ていたのですが、後半になって段々と引き込まれていきました。無声映画である分、余計に音楽も印象的です。ネット上のレヴューにありましたが、下世話で卑俗な三角関係の悲劇を「おとぎ話」として再構成して描いた映画とでもいうべきでしょうか。
 冒頭の場面では1950年代辺りに思えるのに、変わってしまったマルヤがユハに手抜きの冷凍食品ばかりを出す場面では80-90年代に思えるなど時代はほぼいつでも良い、正に「昔々あるところに」という物語であり、復讐のために乗り込んだユハが胸に拳銃を二発食らっても平然として誘惑者シュメイカを倒すという超人的な立ち回りも、おとぎ話の英雄として見れば違和感はありません。マルヤと赤ん坊を逃がして全ての目的を果たしたユハが、ゴミ捨て場で死んでいくシーンは、「灰とダイヤモンド」のラストシーンのオマージュなのでしょうか。
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こうのとり、たちずさんで (テオ・アンゲロプロス監督:ギリシャ映画)

 「ユリシーズの瞳」と同じボックスで発売されているアンゲロプロス監督作品です。実は昨年末に観たのですが、文章がまとまらないままに今まで放置していました。おそらく日本での公開(1992年)の少し後にTV放映されたものを一部見た記憶があり、国境の川を挟んだ結婚式のシーンが印象に残っています。やや奇妙なタイトルは「こうのとりの宙吊りになった歩み」という原題から来ており、この原題の意味は直接的には国境線上で「大佐」が見せた片足を上げて一方の足のみで立つ尽くす様の事ですが、比ゆ的には国境を挟んだどちらの国にも属する事が出来ないでいる難民たちの姿を現しているのだと思われます。

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ユリシーズの瞳 (テオ・アンゲロプロス監督:ギリシャ映画)

 169分という非常に長い作品ですが、今年見た中で最も印象深い映画となりました。特に近年のヨーロッパ映画は多国籍とでも言うべき合作が多く、この映画も製作国はフランス・イタリアとなっているのですが、ギリシャ出身の大監督によるギリシャを含むバルカン諸国の歴史を俯瞰する映画なので、やはりギリシャ映画というくくりになるかと思います。
 20世紀初めのバルカン半島でマナキス兄弟によって最初に撮られた未現像の映画フィルムを探し、20世紀末の混迷するバルカン諸国を30年ぶりに故国ギリシャに帰国した主人公が旅するというストーリーには、もちろんタイトルの通りにオデッセウスの放浪が重ねられているのですが、もう一つアルゴナウタイによる金羊毛の探索の伝説も重ね合わされているように感じます。そして何と言っても、内戦下のサラエボで幻のフィルムにめぐり合い、博物館の老館長を励まして現像に成功して遂に映像を観られる、という所で起こる惨劇は、霧の中のつかの間の平和の直後だけにあまりにも衝撃的です。

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砂漠のシモン (ルイス・ブニュエル監督:メキシコ映画)

 この映画は内戦後にスペインを逃れていたブニュエル監督のメキシコ時代最後の作品であり、製作途中で予算が尽きたために当初のシナリオを変更して40分強の中篇映画となっています。ネットでの解説では、主人公シモンは最後に悪魔の誘惑に負けたという事になっているのですが、実際のところそうなのでしょうか?確かに彼はディスコで悪魔と酒を酌み交わしてはいますが、ダンスに加わる事はなくその場に居る意味も感じていないようだったので、悪魔が誘惑に成功したとは思えないのですが。なお、シモンのモデルは5世紀に実在したシリアの登塔者聖シメオンですが、伝承ではあのように搭上に立ち続けていたわけではなく、塔の上の小屋に住んでそこで神に対する祈願を続けたとされています。

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ナサリン (ルイス・ブニュエル監督:メキシコ映画)

 「ビリディアナ」、「砂漠のシモン」と共に、ある意味でキリスト教を(批判というより)揶揄している作品です。19世紀のスペイン作家ぺレス・ガルドスの小説の映画化という事ですが、原作小説を読んでいないのでどの程度忠実なのかは解りません。ナサリンとは主人公の純真な神父の名ですが、明らかに「ナサレのイエス」を連想させる名前であり、「イエスが現在(と言ってもすでに結構昔なのですが)に蘇ってその教えを実践したらどうなるか」がテーマとなっています。
 貧しく無知な人々と共に暮らして彼らを救おうとするナサリンの行動は常に空回りあるいは逆効果となり、物事は常に悪いほうにと転がって彼は社会からも教会からも非難を浴びる結果となります。実際彼の行いは理想主義すぎるだけでなく多分に軽率でもあり、彼を非難する側は権威主義ではあっても必ずしも間違っていないのですが、ブニュエル自身は必ずしも主人公の行動を否定しているわけではない様に見えます。
 個人的に興味深かったのは、ナサリンの周囲の女性たちのキリスト教感です。彼をキリストの再来かのように崇める彼女らの信仰は、恐らく土着の宗教とキリスト教が渾然一体となったものであり、正統的なカソリックの教えとは遠く離れたものとなっています。ナサリン自身はそれに気づいて何とか正そうとするもののまったく受け入れられず、逆に自分の信仰を揺さぶられる結果となっています。たしか遠藤周作の「沈黙」において、日本のキリシタン信仰が実は本来のキリスト教の教えとはまったく異なるものになっている、というフェレイラ元神父の主張がありましたが、実の所中南米においても同様の状況なのではと、私などは想像しました。

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