こちらはモスクワです (ユーリー・ダニエル著:勁草書房)

 「現代ロシヤ抵抗文集」というシリーズの中の第二巻で、「手」、「こちらはモスクワです」、「ミナップの男」、「贖罪」の中短編小説と、巻末の「ダニエルの最終陳述」から成っています。実はダニエルはこれら四作の小説を「ニコライ・アルジャク」の名でパリで発表したために、友人のシャニフスキーと共に1965年9月13日に逮捕され、翌年2月に強制労働五年の刑を受けており、巻末の文章はその裁判(ダニエル・シャニフスキー裁判)における最終陳述に他なりません。
ユーリー・ダニエリ
 表題作「こちらはモスクワです」や「ミナップの男」は、ストルガツキー兄弟あるいはブルガーコフの小説を連想させる、広義のSFとも言える作品です。「こちらはモスクワです」は、1960年8月10日を他の市民を自由に殺害できる「公然殺人日」とするというニュースがラジオで流れるというシュールな展開で始まります。始めは何かの冗談か米国の陰謀ではと疑った人々も、すぐに「何かの意味があるのだろう」とこの事実を受け入れていくのは、ストルガツキーの「滅びの都市」における「実験は実験だ」というフレーズを連想させます。「公然殺人日」と言うアイディア自体は最近の日本のライトノベル辺りでもありそうですが、この小説ではその日が近づいても人々はその話題を避けて淡々と生活を続け、主人公も浮気相手に自分の夫を殺すように持ちかけられたりしますが、拒否して追い返します。当日には実際に殺人によって数千人が死亡し、主人公も見知らぬ相手に襲われますが、それでも国家が崩壊するような事は起こらず、十月革命記念日に集まった友人たちが当時を振り返る場面で終わります。大粛清時代に起こった事に比べればこの程度は大した事ではない、という主張を含んでいるようにも思えます。なお個人的には、ソ連の各構成共和国での状況の対比が、それぞれの社会気質の差を反映しているようで興味深かったです。
 一方「贖罪」はかなり怖い話です。社会的に成功していた主人公は、大粛清による強制収容から生還した嘗ての知り合いによって「密告者」と名指しされ、友人たちにも背を向けられ孤立していきます。しかし主人公にはその知り合いを密告した記憶はなく、本人にとっては濡れ衣としか思えないのですが、それをはらす事は不可能で、遂には恋人にも去られて狂気に追い込まれます。主人公が心の中で自問自答する内容が字体を変えて書かれており、どうやら大粛清当時にそれに反対の声を上げなかった事に自らの道義的責任を認め、その償いとして発狂したようで、作者ダニエル自身の心中の葛藤と反省をも表しているのではと思うのですが、これは私の誤読でしょうか。あるいは加虐者と被虐者を意図的に入れ替えて描く事により、常に大勢に流されて少数派を排除迫害する社会そのものの恐ろしさは、大粛清当時と何も変わっていない事を指摘しているのかもしれません。
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