エデン (スタニスワフ・レム:早川書房)

 20世紀最大のSF作家と言われるスタニスワフ・レムの1959年の作品で、「ソラリス」「砂漠の惑星」(無敵)と共に宇宙の理解困難性をテーマとする三部作の一つです。
 「エデン」が他の二作と異なるのは、最終盤において相手とのコミュニケーションが曲がりなりにも成立している点です。そのため、最後まで全く理解できないままに終わるソラリスの海や、全てが地球側の想像でしかない黒雲の正体と比べ、エデン社会の異様な様がエデン人自身から説明されています。しかしながら相違のあまりの大きさによる翻訳の制限は如何ともし難く、正しい理解が成されているのかは最後まで不明のままです。この辺りは三部作よりずっと後の「大失敗」に近く、実際(少なくとも地球側は)望んでいない双方の衝突がエスカレートしていく様は「大失敗」での同様の展開を思わせます。また、宇宙船の乗員たちが名前でなく職名のみで呼ばれている(ただし技師のみは会話の中で時々「ヘンリック」と呼ばれている)のも特徴で、読者が乗員たちに感情移入する事を妨げ、第三者的な立場から事の進行を見守るような感覚にさせる効果を狙っているように感じます。
 ところで建前上は権力が存在しないのに人々は自主的に権力に従い、そうしない者に対して厳しい制裁を加えるというエデン社会は、「場の空気」に従わされそれに反する者に社会的制裁が加えられる現在の日本にずいぶん似ています。一見すると地球とは全く異質に見えるエデン社会ですが、日本社会も同レベルの翻訳で欧米人に説明したら、案外同じくらいに理解不能な世界だと見られるかもしてません。
 人体改造の果ての大混乱という点からすると、惑星エデンの状況は「泰平ヨンの航星日記」第21回の旅の舞台となっているジフトニアと似ているのかもしれません。一方で宇宙船を隔離するために使われた「生垣」の技術などは、「大失敗」のクインタ技術と似ているように思えます。
 それから「防御号」は「砂漠の惑星」に登場するキュクロペスと同様のものでしょうか?あちらは完全な自立ロボット戦車だったのに対し、防御号は人間が操縦している点がかなり異なりますが、反物質砲を初めとする装備自体はほとんど同じように見えます。元々無敵号とエデンの宇宙船とは乗員数が全く違いますから装備に差があるのも当然で、キュクロペスの簡易版みたいなものなのではと想像しています。しかし「防御号」「ブラック号」「計算号」等の訳語を見ていると、現在の感覚ではもはやかなりの違和感がありますね。撮影が現像が必要なフィルムで行われているのも、もはやレトロフューチャーなのですが。
 個人的に違和感があったのが、放射能汚染に関する描写です。始めの方の宇宙船内部の汚染水は相当に危険視されていたのに、反物質砲を使ったあとの放射能汚染はしばらく時間を置けばそれほど問題ないような描写となっているのは矛盾では?もっとも反物質砲では放射性物質自体はほとんど作られないという事なのかもしれませんね。
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