狂人と呼ばれた男 (ヤーン・クロス著:日本経済新聞社)

 以前に紹介した同じ著者の「マルテンス教授の旅立ち」と同様に、エストニアの近代史上の人物を取り上げた歴史小説です。原題は"Keisri Hull"(皇帝の狂人)であり、つまり「皇帝によって『狂人』と見なされた男」を意味しています。作品の時代は19世紀前半のアレクサンドル1世からニコライ1世の治世時で、「マルテンス教授の旅立ち」より6-70年ほど前となります。
 主人上のティモテウス・フォン・ボックは実在したエストニア出身のロシア貴族であり、対ナポレオン戦争に参加した後デカブリストと同様に自由思想の影響を受け、物語に描かれたように農奴出身の女性と身分違いの結婚をし、さらにアレクサンドル1世に送ったロシア憲法の草案の中で専制と農奴制を厳しく批判したために投獄された人物です。その意味では正に「専制君主に対して自らの命を掛けた自由の闘士」なのですが、書かれた通りの手記を皇帝に送ったのだとすると、無謀というか幾らなんでも常識知らずで、「狂人」のレッテルを離れるのも無理ないかなとも思います。皇帝の友人という有利な立場があるのだから、もっと礼儀正しい言葉で皇帝を諌める事も可能だったでしょうが、小説にあるような面と向かって相手を罵り馬鹿にするような文章を送れば、怒りを買うのは当然です。皇帝の怒りをわざと買って自分に過酷な処置を下させ、「帝国の体に打ち込まれた鉄の釘」として皇帝に過ちを意識させ続けるのが目的だったのなら、確かにこの行為は目的を達した訳ですが、そうではなくて専制と農奴制を少しでも改革するのが目的なら、彼の行為は目的を見失っているとしか思えません。
 解説にもあるように、この小説はロシア帝国における専制政治批判の形をとりながら、実はソビエト・ロシア支配に対する体制批判をも描いており、ティモテウスが最後の最後になって亡命を拒否して国内に「良心の囚人」として留まり続ける道を選ぶのも、当時のエストニア知識人の立場を意識していると思われます。実際著者ヤーン・クロスも、スターリン時代末期に逮捕されシベリアで九年間を過ごした反体制作家であり、1970年代にはソ連から多くの反体制知識人が亡命する中、あえて国内に留まり続けています。
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