血の伯爵夫人 (アンドレイ・コドレスク著:国書刊行会)

 国書刊行会の「文学の冒険」シリーズには、日本ではややマイナーな分野の翻訳名作文学が並んでいるのですが、この二巻本の小説もその一つです。タイトルの「血の伯爵夫人」とは、若さと美貌を保つために多くの処女を殺してその生き血を浴びたとされる、16世紀後半のハンガリーに実在したバートリ・エルジェーベトの通り名です。ハンガリー国内でも最有力貴族だった彼女は、その残虐行為が噂となりながらもかなりの間咎められる事はありませんでしたが、周辺貴族の娘にまで犠牲が及ぶに至ってついに捜査の手が及び、裁判の末に扉と窓を塞いだ自身の寝室に終生閉じ込められる判決を受け、幽閉されたまま3年後に死亡しています。彼女の裁判に関しては政治的意図による歪曲があったものの、残虐行為そのものはほぼ事実とされています。この作品における彼女の描写もその見方に沿っており、残虐なサディストではあるが政治的には有能である裕福な大貴族であり、それが故にプロテスタント教会や皇帝、国王に危険視されて陥れられた人物として描かれています。
 ところで日本語タイトルは"The Blood Countness"の訳なのですが、彼女の称号は「伯爵夫人」ではなく「女伯爵」が正しいのではないでしょうか?
 この小説は、そのバートリ・エルジェーベトを主人公とする部分と、彼女の末裔である現代のハンガリー系米国人ドレイク・バートリ=ケレストゥールが体験した事件に関する部分から成っています。子供時代を共産政権下のハンガリーで過ごし、1960年のハンガリー動乱後に米国に逃れたドレイクは、子供時代の友人に呼ばれて東欧革命後のハンガリーに帰国しますが、そこで彼を待ち受けていたのは、嘗ての大領主の末裔としての彼を「国王」として祭り上げる極右グループでした。さらにドレイクの初恋の女性エーヴァの娘テレーズと、彼女の大学の歴史学教授のリリも加わり、彼らに連れ回される形でドレイクは極右グループの政権奪取暴動に巻き込まれる事になります。グループの一方のリーダーのように見えたリリは、オカルト的な手法でバートリ・エルジェーベドの現代への復活を企んでおり、ドレイクはいわばその「触媒」として彼女に利用されます。
 途中まで読み進めた時点では、「過去に猟奇的な事件が起こった地を事件の関係者の子孫が訪れ、その地に残る怨念のようなものに取り込まれて、祖先の行動を追体験する」という話だと思っていたのですが、それはやや勘違いでした。確かにそのようなオカルト的な部分はあるものの、本当の主題は政治的混乱が続く東欧の「歴史的呪い」です。バートリ・エルジェーベトの時代、現在の東欧特にハンガリーはキリスト教国とオスマントルコとの対立の最前線であり、さらにキリスト教内部でもカソリックとプロテスタントが対イスラム以上の諍いを続けていました。そしてもちろん貴族と一般民衆の間の格差も西欧以上に酷いものでした。これらに起因する宗教対立や階級対立はその後もさまざまな形で続き、民族対立にも形を変えて現在にも引き継がれています。第二次大戦後の共産主義政権は、少なくとも建前上は民族・宗教対立を容認せず、その結果(もちろん大きな弊害があったとは言え)国内を平和に治めていたのですが、共産体制の崩壊後はいわば「冷凍」されていた対立が復活して、それが極右勢力の台頭に繋がっています。ドレイク・バートリ=ケレストゥールの法廷での供述の最期の言葉「私の祖国は、数世紀にわたる残虐と怠惰から受け継いだ、いまいましい無気力に打ち勝つことはできないのかもしれません。けれども、私は彼女が犯したすべての罪について自分を告発いたします。」が示すように、東欧の混乱の原因は中世からの歴史的経緯にあるが、それを克服できなかったのは特定の指導者というより民族全体の罪であるという主張が、この作品のテーマであるように思えます。

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