居心地を悪くするものへの不寛容さの広がり

 今年最後の記事は、このブログでは正面切って取り上げる事を避けてきた社会的なテーマにします。
 既にずいぶん前の話になりますが、イラク戦争時に現地でボランティアをしていた日本人が武装組織に拉致されて自衛隊の撤退を要求される事件があったとき、拉致されたボランティアが激しく非難・誹謗中傷されるという事がありました。当時私は彼らへの誹謗中傷に憤慨しながらも、同時に彼らの行動に対しても妙な居心地の悪さを感じていました。後になってそのときの自分の心の中を分析したとき、その居心地の悪さは次のようなものであった事に気が付きました。
 ニュース報道で飢餓や紛争による難民の悲惨な様子を見たときに、のうのうと平穏に生きている自分たちに罪悪感を覚え、彼らを助ける義務があると感じるが、実際には何も行動を起こさない。なぜなら実際に現地に行って彼らを救う活動をするのは、通常の社会人ではなく故ダイアナ妃のような大金持ちのセレブか、マザーテレサのような完全な無私の人以外には不可能である。そう考えて私も含めて通常の人は自分の心を落ち着け、何もしない事を正当化している。そう考えたとき、あのボランティア活動家たちの存在は自分たちが何もしない根拠を崩しており、それが彼らを見るときの居心地の悪さの正体である。
 こう考えたとき、彼らがあれだけ叩かれた理由も説明できます。自分たちに無意識の罪悪感を感じさせる彼らの活動がうまく行っている間は「良い事」を行っている彼らを非難するのは逆に自分が非難されるかもしれないのではばかられるが、彼らが一旦失敗すれば「それ見たことか」と安心して溝に落ちた犬に石を投げる事ができる事になり、実際にそうなった訳です。
 あの事件はちょうど小泉政権下で「自己責任」が声高に叫ばれ、日本社会の右傾化がはっきりしてきた頃の事でした。それからすでに8年近くが過ぎ、日本社会は(実際には日本だけではなく世界全体で)さらに「居心地を悪く感じさせるものへの不寛容さ」を増しているように感じます。在日外国人へのヘイトスピーチの横行はもちろんの事、異常なクレーマーの増加もまた、「客であるわたくしを居心地悪くさせる奴は許せない」という意識の現われのように思えます。社会のそれぞれの人が自由に振舞おうとしたとき、個々の「自由」のぶつかり合いが生じて、当然少なくとも一方は居心地の悪さを感じる事になりますが、それは多くの個人からなる社会では必然の事です。以前はそれを受け入れて我慢してきたのですが、最近は居心地を悪くするものは徹底的に排除しようとする傾向が強まっていると感じます。
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