ズーブル -- 偉大な生物学者の伝説 (ダニイル・A・グラーニン著:群像社)

 群像社のシリーズ「現代のロシア文学」に入っている伝記小説です。伝記の主であるニコライ・ウラジーミロヴィッチ・チモフェーエフ=レソフスキイは1899年に生まれたロシア・ソビエトの放射線生物学者で、放射線による突然変異などの生物への影響に関する研究に関する第一人者です。題名のズーブルとは主人公の渾名ですがロシア語でバイソン(野牛)を意味し、どんな困難な状況下でも己の意思を曲げずに研究生活を貫き通した彼の性格を表しています。
 ロシア革命後の内戦とその直後の混乱期にモスクワ大学で生物学を学び、非凡な才能を発揮していたN.V.チモフェーエフ=レソフスキイは、1925年にベルリン郊外のブフに新設されたカイザー・ウィルヘルム研究所の遺伝学・生物物理学科に赴任し、そこでの研究指導者に納まります。この時期にソビエトの国外に居た事が、彼の運命にとって重大な意味をもたらしました。1930年代のルイセンコ主義の勝利によるソ連国内での生物学者への大弾圧には直接巻き込まれずに済んだものの、ナチスドイツのソ連侵攻によって一転して苦境に立たされる事になります。終戦後に対独協力者と見なされて逮捕された彼は収容所で死にかかっていた所を助け出され、南ウラルの流刑所内の研究施設に送られます。結果的にこれが幸いしてソ連全土を席巻していたルイセンコ主義の影響を受けず、ソ連国内での遺伝学の火を消さずに済みました。スターリン批判後に彼は釈放されてモスクワに戻って放射線生物学の第一人者として活躍するものの、戦時中の対独協力疑惑を始めとする誹謗中傷を死ぬまで受け続けます。また、大学卒業前にドイツに赴任したために彼は正式な学位を持っておらず、その点もまた彼の立場を難しくしていました。
 読んでいて非常に興味深かったのは、彼が単に生物学者だけでなくボーア、ハイゼンベルグやカピッツアを始めとする多くの物理学者・化学者・数学者とも交流があった点です。これは彼の専門が放射線生物学だった点も大きいのでしょうが、自分野だけでなく畑違いの分野にも興味を持つ事が一流学者として重要である事を意味しているように思えます。一方ルイセンコ全盛時代のソ連生物学の悲惨な状況にも驚かされました。正統的進化論が否定されて獲得遺伝という疑似科学が公式のものになっていた事はもちろん知っていたのですが、ショウジョウバエを扱う事自体が否定されてしまうとか、もはや笑うしかないですね。
 N.V.チモフェーエフ=レソフスキイは反骨の学者ですが、例えばサハロフのような反体制学者とは異なり、自分の研究と国家との関係に苦悩する事はなかったようです。これもまた、彼の研究が核兵器等の人の生死に直接関わるものでなかったためでしょう。しかし、生態系における放射性同位元素の移動に関する彼の研究は、ウラル核惨事やチェルノブイリ事故、そして福島の事故といったその後のソ連や日本での出来事に大きな関わりを持ってきています。その意味では彼の研究は核兵器に関するものよりもこれからの人類にとって重要な意味を持つものなのかもしれません。
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