ミスティック・リバー (映画:クリント・イーストウッド監督)

 以前に観た「チェンジリング」も重苦しいテーマでしたが、「ミスティック・リバー」は観終わった後の不快感というか割り切れなさが酷く残る映画でした。映画の森てんこ森
 ネット上でのこの映画の解説の中で、「イラク戦争」を風刺した作品であるという説明を読み、なるほどと納得はしたのですが、それにしても「これでいいのか?」という疑問あるいは不快感は消えません。その原因を考えると、どうやらジミー・デイブ・ショーンの主役ではなく、わき役の言動への不信感に行きつきます。

 一つはショーンの同僚(恐らく上役)パワーズの捜査手法です。明らかな偏見に基づいて、ほとんど何の証拠もないままデイブを露骨に追い詰めて行き、結果的にジミーによる私刑を招いた彼の責任は重大です。また、被害者であるジミーにいきなり前科の事を持ち出して挑発したのも、正しい捜査のために良い影響があるとは思えません。さらに言えば、デイブの車を捜査できる切っ掛けとなった自動車盗自体も彼のやらせだったのではと疑える状況で、そうなると完全な違法捜査となり「チェンジリング」でのロス市警さながらです。

 もう一人の不快感を覚える人物は、ジミーの妻のアナベスです。間違って無実のデイブを処刑した事を悔やむジミーに対し、「パパは愛する者のためにならどんな事だってする、パパのすることは全て正しい」と言い放ち、誤った行為を非論理的に正当化する姿は、ジミー(=アメリカ)の行為を盲目的に支持する浅薄な"愛国者"の象徴でしょうか。「自分たちはこの町の支配者だから」という彼女の言葉は、そのまま「アメリカは世界の支配者だから何をしても裁かれない」というこの国の驕りに重なります。
またパレードの場面での、デイブの妻セレステへの当てつけのような態度には、ぞっとするような悪意を感じます。考えてみれば、殺されたケイティはアナベスの実の娘ではないわけで、ケイティの死によって利益を得たのは誰か、という視点から考えると、彼女がこの事件に裏で手を引いていたのではとすら思えてきます。

 チェンジリングは、客観的には絶望的な状況ながらも、クリスティンが幸福を取り戻せる希望を残す結末でした。しかしミスティック・リバーでは、それが全く感じられません。唯一の明るい材料と言えるショーンの妻子の帰還も、この町の閉塞状況の中では、先が見えない程度のものにしか見えてきません。


追記:この記事を書いたあとで、もう一度映画を観て、別の解説記事に書いてあったように、アナベスはサベッジ兄弟の姉妹であると判りました。それを考えると、アナベスは「浅薄な愛国者」の暗喩というよりも、アメリカの保守的な愛国者を支える「宗教」を象徴しており、それがサベッジ兄弟つまり暴力的な軍隊と一体のものである事を表しているのかもしれません。さらにアナベスとセレステとが従姉妹であるという設定は、アメリカの宗教であるキリスト教とイスラム教とが実は親戚関係にある事を象徴しているようにも思えます。
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