「確信犯」という言葉

 日本語の乱れや変化という話になると、必ず具体例として登場するのが「確信犯」という言葉です。元々の意味は「政治的・宗教的などの信念に基づいて正しいと信じてなされる行為(その行為を行う人)」であり、一方でもはや大部分の人が「悪い事だとわかっていながらなされる行為(その行為を行う人)」という意味で使っており、間違って使われているあるいは意味が変化しているという訳ですが、実際の所この両方の意味は本当に異なるものなのでしょうか?
 後の解釈において、「悪い事だと判っている」というのは、どの視点から見て「悪い事」なのかが問題で、例えば明確に違法行為であるという点で「悪い事」であっても、行為者の心の中で悪いと思っていなければそれは前の解釈での「確信犯」ではないでしょうか。その根拠が明確な宗教的なものではなく、例えばサイコパス的な人物が「自分は凡人の法には縛られない特別な人間だから、この行為は自分には許される」と確信して行う悪事も、正に「信念に基づいて正しいと信じてなされる行為」に当たるように思えます。さらに言えば、平凡な人間が信号無視をする場合も、心の中では「この信号を無視しても何も問題が起きないのだから、無視する事は許される」と自己の行為を正当化しているはずで、これも信念に基づいて正しい(少なくとも間違っていない)と信じて行う行為ではないでしょうか?私の感覚では、本当に「悪い事だとわかっていて」ある行為を行う人間は存在しないように思います。
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テーマ:雑記 - ジャンル:学問・文化・芸術

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