狂った致死率 (トマス・L・ダン著:ハヤカワ文庫NV)

 かなり以前に読んだ本で、数年前の時点では「感染症の世界的大流行(パンデミック)によるパニック」というテーマが(その当時の)今日的だったのですが、米トランプ政権が発足して二週間という現時点ではむしろ、「妄想に取りつかれた超大国の大統領による核戦争の危機」という方がより今日的です。この作品はどう見てもSFに分類されるべき内容なのに、どういう訳かハヤカワ文庫ではSFではなく一般小説(NV)に分類されています。正直なところ、SFの定義自体がきわめて曖昧であるという点を考慮しても、ハヤカワ文庫のSF, FT, NV等の分類基準には首をかしげる点が多いです。
 本来伝染病ではないはずの癌の発生率が西側世界で異常に上昇し、統計操作までしてその事実を隠そうとする米厚生当局vs民間科学者との攻防という序盤の展開が、すでにトランプ政権の「もう一つの事実」を思わせますが、西側諸国での癌の大流行が明らかになってからが本物の政治的危機となります。元々はテレビの売れっ子だったタレント教授であり、その任に堪える能力がなかったのにメディアによってその地位に押し上げられた米国大統領は、この未曾有の危機に愛娘の癌発病という個人的試練も重なり、段々と妄想に囚われていきます。その結果、米国での癌の大流行がソ連による生物兵器攻撃によると断定して核による報復への道を突き進んでいくという展開は、もしかするとトランプ政権下の米国の近未来を描いているようにも思えてきて、所詮SF小説で現実とは違うとばかりは言っていられなくなります。少なくとも、就任後わずか二週間程度で国内外をここまで大混乱に陥れたトランプ大統領が、あと四年間その職を続けてまったく想定できないような事態に直面したとき何が起こりうるのか、という問への一つの答えがこの小説に描かれているように思えてなりません。
 以下は結末のネタばれになりますが、妄想に囚われてソ連との核戦争の引き金を引こうとする大統領に対し、政府高官の一部は何とか彼を止めようとしますがそれは不可能でした。基本的に、米国大統領を合法的に解任するには大統領弾劾しかないのですが、もはやまったく間に合わない状態です。その結果、大統領の個人的友人であり、彼をその地位に引き上げた黒幕であった厚生長官は、その責任を取る形でCIA長官と手を結んで自らの自爆テロによる大統領暗殺を決行します。その結果米ソの戦争は回避されたものの、癌による死者だけではなく、パニックによる無政府状態のなかでの暴動等により多くの死者がでる後味の悪い結末となっています。トランプ政権の結末がどうなるかは現時点では判りかねますが、これが現実とならない事を祈るばかりです。
 それから癌流行の原因ですが、きわめて身近に存在する化学物質であるインクの新成分だったという落ちも、現在のインターネット時代でのtwitter等のSNSの「毒」を暗示しているように思えてきます。もちろんそんなことを想定して書かれたはずがないのですが・・・。少なくともこのインクを開発した会社は、現在の東京電力どころではない想像を絶する額の賠償責任を負う羽目になったでしょうが、倒産して逃れるという手は米国の場合できるのでしょうか?
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X^2さん、お久しぶりです

『狂った致死率』ようやく読み終えました。
読み始めたのは、この記事での紹介直後ぐらいだったのですが、
読んでいて目が滑るというか、なかなか読み進められませんでした。

そんなわけで、私の読み取り不足もありましょうが、

>ソ連による生物兵器攻撃によると断定して核による報復への道を突き進んでいく

ここのところが余りにも唐突で説明不足な気がしました。
ソ連介在の証拠はないという側近に対して、そんなはずはない、クビだ。とのたまう... そこが妄想だと言いたいんでしょうが、それにしても何のきっかけもないままに突然そう思い込んだだけ、というのは... 何か「そうともとれる」ような些細な出来事なりあってもよかったような。

さて物語はともかく、現実のトランプ大統領は、ひょっとしてそこまで酷いこともないのかも(少なくともハタ迷惑な公約はことごとく議会でつぶされているので、任期切れまで良くも悪くも「成果なし」で行く)、と思いかけていました。が、エルサレムの問題でその思いがハズレに。ある意味北朝鮮にも匹敵する、世界の迷惑国に早晩成り下がりかねませんね。

No title

yonetchさん、お久しぶりです。かなり意外な記事へのコメントで、びっくりしました。記事にあるように初めて読んだのはかなり以前なのですが、幸いなことに手元に本があるので、ご指摘の点に関して再読し、以下の様に解釈しました。

ウィルソンは元々大統領の任に堪える力量のない人物だったため、その重責によって心理的に一杯一杯の状態だったのが、癌流行という想定外の事態によって容量が溢れて思考停止に陥った。そのため執務室でのCIA長官+グリーンバウムとのやり取(p130--131)でCIA長官が不用意に発した「ソ連のスパイ」という言葉に縋りついて、ソ連の陰謀という妄想に囚われてしまい、その後の娘の発病によってその強迫観念が固定化された。

いかがでしょうか?

No title

> CIA長官が不用意に発した「ソ連のスパイ」という言葉に縋りついて

うーん、あえて言えばこれぐらいしかないんですけども「そうに決まってるじゃないか」のような雰囲気ですしね。
これは(表面的に押し隠しつつ)「あ、そうか!」と改めて気づく、ぐらいの流れの方が本来の筋(能力が見合わない大統領)がより際立ったのでは

> かなり意外な記事へのコメントで、びっくりしました。

いやいや(^^)、X^2さんの書評はいつも楽しみにしています。自分で探し追いかけることができないので、せめて追随させていただこうかと(^^;;
今後ともよろしくお願いいたします。

No title

この小説が書かれた1982年当時は米ソ冷戦中でしたから、通常では考えられない事が起こる -> ソ連の陰謀かも という思考回路は非常に一般的だったはずです。CIA長官の発言は「一応(誰でも考える)その可能性も考慮しましたがやっぱり違いました」という情報機関のトップとしては至極当たり前なものでしたが、大衆にもてはやされたテレビタレント教授のウィルソンにとってはソ連の陰謀という「解りやすい説明」がぴったりと嵌ったという事ではないでしょうか。現在なども正に、いくつもの要因が複雑に絡み合った結果の出来事に対して、大衆が判りやすい単純な説明を与える者がもてはやされている訳なので、あまり変わらないかもしれません。
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