天使の恥部 (マヌエル・プイグ著:白水社 Uブックス)

 少し前に紹介した「ヴィーナス・プラスX」は、リベラルな人間の心の奥底にも潜んでいるトランスセックスへの偏見をテーマとしたジェンダー系SFでしたが、今回紹介する「天使の恥部」は社会の中のマチズモ(通常「男尊女卑」と日本語訳されるが微妙にずれている)とそれに対する女性たちの選択をテーマとしたジェンダー系小説です。通常は一般小説に分類されると思いますが、未来世界のパートはSFとして読む事も十分に可能です。マヌエル・プイグ(1932--1990)はアルゼンチン出身の作家で、恐らくもっとも有名な作品は映画化もされた「蜘蛛女のキス」でしょう。
 第二次大戦前後の時代の名前を明らかにされない世界一の美人女優と現在(1975年)不治の病でメキシコの病院に入院中のアナ、そして天変地異後の未来世界で男性の性的欲望の処理を行う公的任務を行うW218という三人の女性主人公のパートが表面的には全く交わらずに描かれていますが、現実の世界にいるアナが病床で見ている夢の世界が残りの二人のパートであるというのが最も自然な解釈と思います。マチズモを絵にかいたような最初の夫フィトやその後に結婚を迫るアレハンドロからメキシコに逃れた主人公アナは、母国の抑圧的政権への反政府活動を支援する弁護士ボッシと付き合っているものの、彼の行動原理もまた形を変えたマチズモである事に不満を抱いています。その不満に対するアンチテーゼとして素晴らしいラブストーリーとして夢見たのが残り二人の人生という事のようで、一見すると地獄のようにも思われるW218の運命も、彼女にとってはうんざりしている現実よりははるかに素晴らしく思えるのでしょうか。
 W218の生きるディストピア風未来世界の描写にもSF的興味を覚えましたが、私がより興味を持ったのはペロニズム(ペロン主義)についてです。1946年にアルゼンチン大統領に当選し、一度はクーデターで失脚しながらその後復権して三選を果たしたフアン・ドミンゴ・ペロンは民族主義的なポピュリズムによって労働者の支持を集める一方で反対派を強制収容所に送り込む独裁者でしたが、第二次大戦直後はアルゼンチンは世界有数の富裕国であったためにうまくいっていた彼の政策も、経済の低迷と共に行き詰まっていきます。彼の支持地盤の政党がペロン党、また指示者とその後継者がペロニスタ(ペロン主義者)と呼ばれているのですが、ペロン党は内部対立や彼の死後に大統領に昇格した妻のイザベル・ペロンの失政によって政権を失い、その後の軍事政権時代には徹底的な弾圧を受けるものの1983年の民主化によって復権し、その後も何人もの大統領を生み出しています。興味深いのは、「ペロン主義」の実態が政治的な思想としては内部破綻している所です。小説中のボッシとアナとの会話においてもその点は指摘されていますが、同じペロン主義者を名乗っていてもその主張するところはまちまちであり、歴代のペロン党政権もその政策は左から右まで極端に別れていて一貫性がありません。実際のところ、豊かな国土を持ちほとんどの物を輸入に頼らずに賄えるアルゼンチンにおいては、西側先進国の目から見ればいい加減と思われる政策でもあまり問題なくやっていけるわけで、近年の「経済破綻」時も都市での暴動こそ起こったものの国家全体が疲弊している訳ではありませんでした。
 ところで小説において最初に登場する「世界一美しい女性」のモデルは、ウィーン出身の映画女優ヘディ・ラマー(1914--2000)です。1933年にチェコ映画「春の調べ」において全裸を披露した彼女は、直後にドイツの兵器業者フリッツ・マンドルと結婚するものの嫉妬深い夫に半ば監禁されるような生活を送ったのちに1937年に夫の元からパリに逃げ出して、1938年にはハリウッドデューします。この前半生は小説での描写とかなり重なっていますが、実は彼女は発明家としても有名であり、様々な発明を行っています。特に重要なのは、マンドルとの結婚生活中に得た無線知識を基にした、妨害を受けにくい無線誘導システム技術である周波数ホッピングで、彼女は友人と共にこの特許を取っています。この技術は現在の携帯電話やWifiなどに使われている周波数ホッピングスペクトラム拡散技術の基礎技術との事で、死後の2014年にはこの発明の功績で「全米発明家殿堂」入りを果たしており、言わば才色兼備のリケジョの理想像のような人物です。
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