光車よ、まわれ! (天沢 退二郎 著:筑摩書房)

 子供の頃に読んだ知る人ぞ知る傑作児童書です。挿絵も含めて極めて印象に残っていた本で、今回改めて図書館で借り、恐らく40年以上振りに再読しました。文庫版ではなく昔読んだ単行本版を借りたのですが、これも私の記憶にあるものとはカバー画が異なっていました。どうやら私の記憶に残っている光車そのものの画の表紙は初版のものらしく、それの再現版が最近になって別に出版されているようです。
 それだけ昔に読んだ本であるにも関わらず、特に出だしの部分などは一字一句レベルで記憶の通りだったのですが、一方で第二の主人公であるルミのパートは記憶がなく、そもそも一郎とルミの主人公が二人だった事自体を憶えていないなど、かなり自分の記憶がまだらだったのが意外でした。さらに「水の悪魔」と「緑の服の組織」という別々の敵が存在し、一郎の同級生の宮本たち三人グループと学級委員の吉川とが別々の組織に属していた点や、ラストでも敵の一方としか決着していていなかった事すらも覚えておらず、そもそも子供の頃この話をどこまで理解して読んでいたのかが疑問に思えてきたほどです。
 読み始めてしばらくは、物語の舞台として東京の近郊の埼玉県や千葉県辺りを想像していましたが、実ははっきりと23区内、しかも都心の西側であり、恐らく世田谷区から杉並区辺りを想定していると思われます。街の描写的にはもっと田舎のようにも見えますが、この作品の書かれた昭和40年代には東京都区部でも中心部以外は高いビルもなく空き地も多く、描かれているような街並みが広がっていました。だからこそ子供の頃にこの作品を読んだときに自分の住む街に舞台を重ねる事ができ、かなりのリアリティを感じたのでしょう。しかし逆に言うと現在の若者にとってはそれがないので、私の世代の人間が感じたような現実味はないかもしれません。一方で「緑の服の組織」が銃剣をもって公然と表にでているなどの描写は我々の住む日本とは別の世界であり、何となく太平洋戦争以前の日本がそのまま延長されているレトロフューチャーのパラレルワールドのようにも思えます。
 主人公の一郎とルミとは別に、実際の物語の中心にいるのはもちろん戸ノ本龍子であり、描かれている事件の真相は、ウラの国の王女である彼女がオモテの世界に攫われ、愛娘を失った悲しみと怒りにより狂気に落ちたウラの国王がオモテの世界を滅ぼそうとしたが、王女自ら父王の狂気に立ち向かい、彼女の帰還によって王は正気に戻り危機は救われた、という事になります。一方でそこにオモテの世界の権力による策謀が絡んでおり、こちらの方は王女の帰還によってウラの国との対立が収束した後も秘かに主人公たちを監視し続けています。この辺の描写や小学校の先生と龍子との対立関係の描写からは、世界の外側にあるものたちからの恐怖よりも、現実社会で権力を持つものが秘かに張り巡らされた監視の目の方がより恐ろしいというメッセージを感じ、はっきりと作者の反権力的思想が見えて来ます。実の処この辺りも、妙に体制に迎合的となった現代の若者にはこの作品があまり好まれないのではと懸念しています。
 ところで個人的には、学級委員の一人として「中島みゆき」の名が登場したのがツボでした。天沢退二郎氏は後に「中島みゆき論」も書いているので、いかにも意図的な登場に思えますが、この作品の書かれたのが1972年なのに対し、歌手中島みゆきが「アザミ譲のララバイ」でプロデビューしたのは1975年なので、ほぼ間違いなく偶然の一致とは思います。ただ実はそれ以前に、彼女がフォーク音楽祭全国大会に出場して「あたし時々おもうの」で入賞したのが1972年なので、もしかすると著者がテレビか何かでそれを見て印象に残っていたため、その名前をこの作品に取り入れた可能性はありますが。

追記:裏表紙の地図を見ていて気が付きましたが、街を東西に走る鉄道の駅名の、都心側から順に「ふなわし」「おおくら」「さいじょう」が、小田急線の「千歳船橋」「祖師ヶ谷大蔵」「成城学園前」と重なっています。「環九」の位置が現実の環八とは一駅ずれていますが、やはりこの辺りが舞台のイメージなのでは。
スポンサーサイト

テーマ:本の紹介 - ジャンル:本・雑誌

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

X^2

Author:X^2
このブログは、旧ブログ
Babylon5以外のメモ
からの移転先として立ち上げました
。連動するホームページである
Babylon5 Episode Guide
にもどうぞ。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
リンク