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侍女の物語 (マーガレット・アトウッド著:早川epi文庫)

 1948年に書かれた「1984年」と同様に近未来の抑圧社会を描くディストピア小説で、こちらは1986年の作品です。書かれた当時にモデルとしてまずイメージされるのは、最終章でも言及されているように、女性の権利が大きく制限されているイランやサウジアラビアなどの宗教保守派が権力を握るイスラム国家であり、近年でもタリバンやISに支配された社会がまず想起されるはずです。しかしながら同時に2016年の米大統領選後には、アメリカ自身のありうる最悪の未来予言として「1984年」と共に取り上げられるようになりました。この作品の舞台であるギレアデ共和国は、21世紀初頭のアメリカ合衆国において(トランプ大統領の支持基盤の一つでもある)キリスト教原理派によるクーデターによって作られた神権国家と設定されているため、「1984年」よりもさらにありうる米国の未来としてイメージされ、最近になってTVドラマ化もされているようです。
 物語はギレアデ共和国の「侍女」である主人公の一人称で語られ、すべて彼女の目線で描かれています。「侍女」とは「司令官」と呼ばれる指導階級の男性の子供を産むために国家から派遣されるいわば「子産み女」であり、彼女らは本名を奪われ司令官の付属物として、彼とその妻に仕える期限付き奴隷同然の扱いを受けています。そのため彼女の視点から見えるのは限られた周囲の状況のみで、合衆国が崩壊してギレアデ共和国に変わるという大事件がどのように進展したのかも、彼女が実際に経験したりTV報道で視た断片的な描写のみでしかわかりません。
 しかしながら作品の最後にある「歴史的背景に関する注釈」という章で、物語本体の時代から200年近く後の2195年におけるギレアデ研究シンポジウムでの研究発表という形で、ギレアデ共和国の歴史を俯瞰した視点での解説がなされています。それによると、物語本体の部分はギレアデからカナダに抜ける「地下女性鉄道」(南部奴隷州の黒人奴隷を逃がした秘密組織「地下鉄道」になぞらえた名称)の中継点であるバンゴアで発掘された録音テープの内容、とされており、従って主人公逃亡後の回想録です。ただし実際に彼女が逃げ切ったかどうかは不明で、彼女の本名自体も解っていません。一方で彼女の「司令官」の名は「フレッド」と解るため、ギレアデ初期の記録からほぼ特定されています。
 ギレアデ共和国が一体どの程度の期間続いたのかは「注釈」にも書かれていないのですが、物語本体の時代はギレアデが「ヤコブの息子たちの頭脳集団」によるクーデターによって成立してから10年以内、おそらく7-8年目です。どうやら彼女の逃亡がフレッドの失脚さらにそれに端を発する共和国初期の粛清事件につながっており、その後さらに共和国創設メンバーがほとんど粛清される「大粛清」が中期にあったという事なので、国家の存続期間はおそらく20年以上40年未満といった感じでしょうか。この世界では、原発の事故や化学物質汚染さらにはウイルス感染によって北米の白人層で出生率が大きく下がり、どうやら「司令官」の多くも生殖能力を失うウイルスに感染していたようで、そうなると当初の指導者層の知的レベルも次の世代では維持できなかったのではと考えられます。さらに出生児の先天性異常率も非常に高まっており、そのような赤ん坊はすべて処分されていたようなので、人口そのものが維持できずに、わりと短期間でギレアデは崩壊したのではないでしょうか。
 「侍女」を始めとする多くの女性たちにとってギレアデは地獄社会であるのは当然なのですが、「司令官」やその妻といった最上層階級によっても果たして住みよい社会なのか疑問です。「司令官」フレッドの妻であるセリーナ・ジョイはクーデター以前からキリスト教原理派の広告塔タレントであり、TVその他で彼らの主張を援護していたはずです。しかしその彼女自身も、おそらくクーデター後の女性の置かれた状況には「まさかこんな事になるとは」と唖然としたのではないでしょうか。さらにこの社会構造を計画した張本人の一人であるフレッドさえも、女性たちから学問や文字を奪った結果もはや彼女らと知的なやり取りができなくなったことを悔やんでいるようです。これらの描写は、一旦クーデターが起こって政府が成立した後は、物事はそれを計画した者たち手を離れて操縦できなくなっていくという何度も繰り返された歴史の真実を表しているように思います。
 また、例えば「小母」たちの描写が示すように、歴史的に抑圧体制は多くの場合被抑圧者を分断し、彼らの同類を抑圧の手先として使う事によって支えられています。これはまた、主人公の連れ合いだったルークがクーデター直後に図らずも示したように、少なからぬ一般人が自由に不安を抱き、自らの自由を制限されることを望んでいるという描写と共に、一見すると絵空事のように見えるこの物語の世界が、決してあり得ない未来ではない事を教えていると思います。
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