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闇の左手 (アーシュラ・クローバー・ル=グィン著:ハヤカワ文庫SF)

 ル=グィンのSF小説中で、「所有せざる人々」と共に最も有名な作品ですが、実は私にとって今回が初読みでした。正直な処、彼女の社会科学系SFはやや苦手としていて、「所有せざる人々」の方は途中まで読んで挫折した記憶があります。今回読んだ感想も、なるほど名作ではあるが読んでいると何だか一々ごつごつと引っかかる感じがして、読み通すのにそれなりの努力が必要な作品というものでした。作品の感想を検索してみると、絶賛しているレヴューの一方で同様に感じている読者もそれなりに居るようです。なお、作品にいささかおどろおどろしいイメージすら与えているタイトルは、作中後半で主人公の一人であるエストラーベンが口にしたトルメルの歌の一節「光は暗闇の左手 暗闇は光の右手。二つはひとつ、・・・」からの引用であり、光と闇とは対立するものではなく表裏一体、さらには一身同体のものである事を表しています。
 古代ハインの遺伝子操作によって作られた両性具有人類の世界である惑星ゲセン(通称「冬」)に、エクーメンへの加入を即す使者として訪れた地球人男性の主人公ゲンリー・アイと、彼が最初に訪れた一方の大国カルハイド王国の宰相エストラーベンの二人が、共にこの作品の主人公です。前半ではエトラーベンの不可解にも思える言動に不信感を募らせてカルハイドを去ったゲンリー・アイは、次に訪れたもう一方の大国オルゴレインで収容所に送り込まれ死にかけていたときに、故国を追われて亡命していたエストラーベンに救われ、二人で氷原を超えて決死のカルハイド行きを試みます。その過程でアイはようやくエストラーベンの心の内を理解できるようになるのですが、これはまた、「性のあり方」という文化の最も基本となる部分が異なる者間の理解の困難さを象徴しているように思えます。さらに言えば、作中しばしば言及される「シフグレソル」という概念が結局理解できないままなのも、この理解の困難性を示しており、それがまたこの作品の読み難さの原因になっているように思います。以下のレビューにある、「理解」という概念がある種『「上の立場にあることから生じる余裕」という余剰物によってもたらされる、どこか「上から目線の寄与」としての相手に対する押しつけ』といったニュアンスを孕んでいる、という記述が、私の感じた事にかなり近いようです。口の中の腐れ茸:アーシュラ・K・ル=グウィン「闇の左手」を読んで
 巻末に、「ロカノンの世界」に始まるハイニッシュ・サイクルの流れが解説されていて、非常に役に立ちました。意外だったのが、「ロカノンの世界」の「全世界同盟」とこの作品の「エクーメン」とが同じ流れはくむものの別ものだった点です。ハイン人主体の「全世界同盟」は戦争によって一旦崩壊して各惑星が孤立した状態に陥った後、数百年後に再び宇宙に進出して「エクーメン」が成立するという、宇宙史ものとしては一本道でないやや不思議な構成です。ロカノンが「泉の守護者」から学んだテレパシー(心語術)が、エクーメン世界ではかなり一般的なものになっていますが、考えてみるとロカノン自身は同盟からの救援隊が到着する以前に死んでいたので、一体誰が広めたのだろうという疑問は残ります。
 また、短篇集「風の十二方位」に収められている「冬の王」は、この作品と同じ惑星「冬」がすでにエクーメンに加入した後の時代が舞台となっています。ただし実は書かれたのは「闇の左手」の一年前であり、当時は住民が両性具有であるという設定が存在しなかったため、短篇集に再録時に登場人物を示す三人称代名詞を「彼」から「彼女」に書き換えた経緯があるとの事です。
 ところで「冬」の二大国家のうち、オルゴレインの方ははっきりとソビエト連邦をモデルとしているのですが、カルハイドの方はアメリカではなくむしろ東洋、特に「LとRとの発音が区別できない」などという記述から見ると日本がそのモデルの一部にあるようです。StarTrekでのヴァルカン・ロミュランもそうでしたが、欧米人にとっては日本と中国さらに他のアジア諸国の文化は、本質的にはそれほど差があるわけではなく混然一体として認識されており、むしろその神秘性と野蛮性の側面を別々に切り出して解釈する傾向があるように思います。
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