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アーヴァタール (ポール・アンダースン著:創元推理文庫)

 これもまた、ずっと昔から題名は知っていたものの今回初めて読んだアンダースン作品です。その当時は単語の意味が解らず「奇妙な題名だな」と思っていたのですが、実は原題の"The avatar" すなわち「アバター」そのままでした。この単語の日本語訳が「アバター」で定着したのはおそらく1990年ごろに現在のネットの前身であるパソコン通信サービスでユーザーの分身キャラクターを意味するようになってからであり、従ってこの作品が翻訳された1981年にはまだ一般的な単語ではなく、翻訳も試行錯誤されていたのでしょう。しかし「アバター」という邦題にしていたら、今頃は確実に例の映画の原作と間違われていたでしょうね。なおこの作品でのavatarは、神にも等しい異種族の分身キャラクターそのものではなく、彼らと他の種族とが接触するために彼らに作られた者たちを意味します。
 さて1978年に描かれた本作の展開は、A.C.クラークの「2001年宇宙の旅」(1968年)とステープルドンの「スターメーカー」(1937年)そしてアンダースン自身の「タウ・ゼロ」(1970年)という三つの名作SFを合わせたとでもいうべきものです。ただ上巻の訳者あとがきにもあるように、二人のイギリスSF作家の人類への達観というか突き放しとは異なり、アンダースンはもっと主人公たちあるいは読者に優しいというべきか、最終的に主人公たちの生還と勝利を描いてきます。このあたりは「人間の勝利」が基本にあるアメリカSFとイギリスSFとの違いが見えているように思います。また、Tマシン網によって未知の時空を彷徨い続ける宇宙船内での濃厚な人間模様の描写は、8年前に描かれた「タウ・ゼロ」での同様な状況よりも人数が少ない分より濃厚で、また北欧的な性的放縦さを感じさせます。
 SF的な主題となるのは超種族「アザーズ」の残したスターゲート「Tマシン」なのですが、そこに飛び込んでのオデッセイが始まるのは「2001年宇宙の旅」同様に物語の半ば過ぎであり、それ以前の部分は人類の未来を選択する政治的対立が主題となっています。莫大な費用と労力を掛けてTマシン網の探索を行い宇宙を目指すか、あるいはその費用と労力を荒廃から完全には立ち直っていない地球の復興と平和に向けるかという選択は、作者自身は多くのSFファンと同様にもろ手を挙げて前者を支持しているものの、実際には悩ましい問題です。もちろん作中では後者の首魁であるアイラ・クイックが前者の支持者である主人公たちに悪辣な陰謀を巡らせていくので、読者的には前者を支持せざるを得ないのですが、公平な立場から見たときは果たしてどちらが正しいのか。現実世界で言えば、地球温暖化による全世界的な気象災害の急増への対策に莫大な費用が掛かるなかで、月や火星に人類を送る計画に巨額の費用を投ずるのが正当化されるかという問題と同様です。アンダースンが筋金入りのリバタリアン(個人の自由に対する規制に徹底的に反対する立場)であるという事が確か「タウ・ゼロ」の解説に書かれており、それを読んだ時点ではピンとこなかったのですが、こちらの作品では彼のその思想がかなりはっきりと主張されています。
 ベータ人の社会描写や、後半のオデッセイ部分でのさまざまな種族との出会いの部分は、アザーズとの出会いも含めて「2001年」よりもむしろ「スターメーカー」に近いものを感じさせます。ただ、スターメーカーは宇宙意思とでもいうべきものであったのに対し、アザーズの方はあくまで超古代種族、Babylon5に登場するLorienのような存在であることがかなり異なります。彼らの構築したTマシン網は、空間のみならず時間的にもはるか彼方までつながっており、さらにTマシン自体がそれを通り抜けるときに意図的な時間移動が可能というかなり不思議な装置です。しかしながら、何らかの方法で因果律に矛盾する出来事が起こらないように制限されており、例えばTマシンを抜けて向こうに行った宇宙船が戻ってきたときに出発時より過去に戻ることはできないようです。ただ、この作品のラストでチヌック号が太陽系のTマシンに戻った時点で、それまで存在していた未来が「可能性の未来」へと変わる非常に大きな変化があったはずで、その辺がどう処理されたのかは謎のままです。
 なお、これも解説にあるように、Tマシンは一般的には「ティプラーの円筒」として知られているタイムマシンであり、以下の論文で発表されたものです。
F.J.Tipler: “Rotating cylinders and the possibility of global causality violation”, Physical Review D 9, 2203 (1974).
つまり、物理的にナンセンスなものではなく、実際に建造可能かは兎も角として相対論の範囲で理論的根拠があるものです。ただ、マシンを通り抜けてどこに行くかを決めているのが周囲に配置されたブイをどのように廻るかで決まる、というのはもちろんアンダースンの空想力によるものですが、太陽系のTマシンの周囲の7つのブイのうち、2つ以上を廻る廻り方が5913通り、というのは計算間違いです。この数値はどうやら7!+6!;5!+4!+3!+2!+1!と計算しているのですが、実際には7!+7!/1!+7!/2!+7!/3!+7!/4!+7!/5!=13692通りです。
 さらに言うと、太陽系のTマシンは地球と同じ軌道で太陽を挟んでで反対側に位置し、地球から観測できないという設定ですが、この位置(いわゆるL3点)は安定ではないので長時間留まっていることはできず、さらに楕円軌道の場合は軌道上の速さが一定でないので太陽の向こう側からずれて観測が地球からも可能になってしまいます。ただこの点に関しては、おそらくTマシン自体が自律的に自分の位置を制御していると思われるので、問題はないのでしょう。ただ、中型衛星レベルの質量があるようなので、他の天体への摂動でその存在が間接的にわかりそうな気もします、というか作中世界でもその理由によって発見されたのかもしれません。
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