エリアーデ幻想小説全集 (作品社)

 宗教学者としても有名な、ルーマニア出身の亡命作家Mircea Eliadeは多くの幻想的な小説を書いており、邦訳された全集が三巻本になって作品社から出版されています。前の二巻はしばらく以前に読んでおり、今回第三巻を読みました。
 今回の全集以前に、幾つかの小説の邦訳が出版されており、私が最初に読んだのは全集の最初に置かれている「令嬢クリスティナ」です。紹介にあるように一種の吸血鬼ものなのですが、同じくルーマニアの古城が舞台のモデルである「ドラキュラ」とはかなり趣が違います。舞台となっているような貴族の館は、共産主義時代を経た現在でも、地方には残っているのでしょうか。これ以後の初期の作品(「ホーニッヒベルガー博士の秘密」、「セランポーレの夜」等)では、戦前の一時期に彼が滞在していたインドがテーマとなっており、人が消えたり、過去の世界に迷い込んだりといった後期の作品のテーマがすでにここで見られます。もちろん、あくまで「ヨーロッパ人のインドへの憧れ」の域を出ていないといったらそれまでですが。
 「令嬢クリスティナ」はある意味オーソドックスな幻想小説でしたが、中期以降の多くの作品には、戦後ルーマニアの共産主義政権とその秘密警察セクリターテの影が、ここかしこに見られるようになります。その中で再三繰り返されるのは、人が消える、というテーマです。後期の「19本の薔薇」や「百合の陰で・・・」では、それははっきりと統制国家ルーマニアから異次元の別世界への脱出を意味しているのですが、この全集には収録されていない大長編「妖精たちの夜」などにもこのテーマが取り上げられており、単に戦後ルーマニアからの逃亡ではなく、現実世界から理想郷へ逃れる、という意味のように思えます。
 もう一つ、後期の幾つかの作品に共通するテーマが、「スペクタクル」です。この言葉は通常、観客の視覚に訴える大仕掛けな演劇、といった意味で使われており、ここでは特に、大人数を動員した現実さながらの(野外)演劇です。スペクタクルによって描かれた世界への入り口が開かれる、というアイデイアは、 Jack Finneyの作品を思いださせます。
 第二巻に収録されている「ムントゥリャサ通りで」は、Eliade作品の集大成とでも言うべき傑作です。小学校の元校長が延々と語る昔話は、時代も場所も主人公さえも次々と移り変わり、さらにその話は色々と政治的な騒動まで引き起こします。そして最後に至って、あるどんでん返しが待ち構えています。
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