ルィセンコ主義はなぜ出現したか (藤岡 毅 著:学術出版会)

 「ルィセンコ学説」とは1930年代中頃のソ連に出現した、遺伝子説の否定と獲得遺伝の承認を特徴とする学説であり、その後のソ連における生物学と農業科学に非常な否定的影響を及ぼしました。その名の通り、トロフィム・デニソヴィッチ・ルィセンコによって提唱された学説ですが、学説というよりもイデオロギーと化して、スターリンを中心とする政治権力と結びついて論敵を徹底的に弾圧したために、一般には「ルィセンコ主義」と呼ばれています。この本は、その「ルィセンコ主義」を生んだソ連社会のさまざまな背景を説明しているもので、かなり難解ながらも読み終えてなるほどと思わせる内容でした。
 ルィセンコ学説は現在遺伝学の視点から見れば荒唐無稽であり、「疑似科学」でしかないとも思えます。しかしながらこの説が提唱された1930年代はメンデルの法則の再発見からそれほど経っておらず、ダーウィンの自然選択説もその内容が必ずしも十分に理解されていませんでした。またこの時代には遺伝子の実態が明らかではなく、実験データを統計処理する手法も確立していなかった事を考えれば、彼の主張そのものは誤っていたとは言え、学説としては成り立ちうるものでした。

 そもそもソビエトロシアにおける遺伝学は、革命後にメンデル学説が紹介されてから急速に発展し、1920年代には世界をリードする水準に達していました。その過程での獲得遺伝を唱えるラマルク主義者との論争において遺伝学者は勝利するのですが、この論争は学問的なものだけではなく、イデオロギー論争の側面もありました。1928年から32年の「文化革命」の初期において、遺伝学者たちは一方のイデオロギー(デポーリン派)と結びついてラマルク主義者に勝利したものの、その後の局面で登場したミーチンらの哲学グループの攻撃によってデポーリン派が崩壊した巻き添えで、遺伝学者たちも失脚に追い込まれます。ミーチン哲学は党の現行政策に哲学や科学が従属すべきと主張するものであり、これがソ連での正統マルクス主義哲学となったために、客観的に見て不可能な計画の達成に貢献する研究のみが科学としての評価を受ける事になりました。
 もちろん現実には無理な計画は破綻し、農村での飢餓が進行して文化革命が完全な失敗に終わる中で、危機感を募らせた中心人物のイサーク・イズライレヴィッチ・プレゼントが担ぎ出したのが、「小麦の春化処理」によって穀物生産の飛躍的増大をもたらしたと英雄視されるようになったルィセンコでした。春化処理そのものは現在でも通用するまっとうな農業技術でしたが、ルィセンコはその処理によって小麦の遺伝的性質まで変える事が出来ると主張し、復権した遺伝学者との大論争を引き起こします。科学論争としては遺伝学者側が明らかに勝っていたにも関わらず、遺伝学会議での議論の是非を判定したのがミーチン哲学者だったために、ルィセンコ派が勝ったかのように喧伝される結果となりました。そして敗北した遺伝学者たちは、権力と結びついたルィセンコ派によって「階級の敵」や外国のスパイというレッテルが張られ、大粛清の犠牲となっていきます。
 このような悲劇が起こった原因にはもちろん、ルィセンコ一派にスターリン指導部の強い支持があった事が挙げられます。農業集団化の強行による農村での大飢饉を覆い隠すためには、集団農場での生産拡大が必要であり、そのためのキャンペーンにルィセンコの主張は持ってこいでした。またスターリン自身も、獲得遺伝を素朴に信じていたようです。

 このように書いていくと、ルィセンコ主義の勝利のような事件は教条的な共産主義国家に特有の現象であり、現在ではこのような事が起こるはずがない、と考える人が多いかもしれません。しかしながら科学の価値を実用面からのみ捉えようとする風潮は資本主義社会でも強まっており、日本でも基礎研究が軽視され成果主義が叫ばれるようになっています。また現在の日本でも、例えばワンフレーズによるレッテル張りによって相手を貶める事が流行していたりする現状を見ると、似たような事が起こりうるのでは、という気がしてきます。そう考えると、70年近く前のこの事件の研究書として、この本の価値は高いのではないでしょうか。

追記:Star Trekにおいてルィセンコに関するネタがあったのを思い出しました。確かチェコフの姉が生物学者という設定で、スポックに向かってチェコフが「姉にはぜひルィセンコのようになって欲しい」と言い、驚いたスポックが「君は姉が嫌いなのか?」と問い返すと、「ルィセンコはロシアの偉大な生物学者ですよ。姉には彼のような偉大な人になって欲しいんです。」という返事が返ってきます。おそらく「ソビエトロシアでは過去の都合の悪い事実は一般人には隠されているので、ルィセンコも偉人だと思われている」という皮肉なんでしょうが、実際にはフルシチョフ時代にルィセンコは一時的に復権したものの、その後は完全に否定的に扱われており、また事件の詳細な検証もロシア国内で行われています。それに、過去の出来事が曖昧になり、一面的な印象だけが独り歩きするのは、ソビエトロシアに限らず世界のどこでも共通の事です。
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